思春期にそれ知ってればなあ

暗黒思春期を過ごした人間のメモ帳的な

結局健康が一番だよねという結論

 

健康であることって何よりも大事だと思う。

 

最近「脳を鍛えるには運動しかない! 最新科学でわかった脳細胞の増やし方」という本を読んでいる。

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ぶっちゃけ理系の知識はないのでシナプスとかニューロンの説明をちゃんと理解している訳ではないけど、この本を読んでいると運動が与える効果の大きさを感じる。

有酸素運動をある程度の強度で週に何回かでもいいから継続すると、ネガティブな感情が浮かんでもある程度の耐性が付くらしい。

 

中学時代、起立性調節障害のせいで運動はおろか、歩行もまともにできなかった私は体力をつけるという行為をかなり後回しにしてきた。そのため健康にいいから運動しろと言われても、何から手を付けていいのかよく分からなかった。

しかしこの本を読んで理解したのは、自分が楽しいと思えるものなら何でもいいから運動をするべきと言うことだ。何となくジムに通ったり、好きでもないスポーツをしなければいけないと思っていた自分にとっては目から鱗だった。

この本は、「運動=しんどいもの」ではなく、あくまでも自分のストレス解消や安眠に導く手軽な方法だということを伝えてくれていると思う。

 

また、驚いたのはパニック障害を持つ患者に対するエピソードだ。

パニック障害は突然心臓が締め付けられるような状態になったり、息が出来なくなったりという症状が出る。それを運動を通して改善するという話だった。

汗をかいたり心臓がバクバクしたりすることはパニック状態以外にもある、と運動で体感させることで、症状も緩和していくというような内容だ。

自分自身、閉鎖的な空間にいると吐き気や呼吸がし辛く、パニック状態になる事があった。当時はその状況に陥るのが怖くて引きこもる時間が増え、体を動かす時間もかなり少なかった。

この本をその時に読めていたらと心底思った。

 

スマホばかりいじっていないで、少しでも気分が落ち込んだらラジオ体操をするなり、工夫して運動時間を増やしていきたいと思う。

 

起立性調節障害で中学校生活が暗黒だった話

 

タイトル通りの話。

私の中学時代というのは2013年~2015年。今からすでに10年以上の話なので、2024年現在とは学校の理解などは変化しているかもしれないが、当時思っていたことや生活を綴っていきたい。

 

まずは起立性調節障害の説明について

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起立性調節障害(OD:Orthostatic Dysregulation)は、思春期前後の小児に多くみられ、起立時にめまい動悸失神などが起きる自律神経の機能失調です。
人の身体は、起立すると重力によって血液が下半身に貯留し、静脈を経て心臓へ戻る血液量が減少し血圧が低下するので、これを防ぐために自律神経系の一つである交感神経が興奮して下半身の血管を収縮させ、心臓へ戻る血液量を増やし、血圧を維持します。しかし、自律神経の機能が低下した結果、このメカニズムが働かず、血圧が低下し脳血流が減少するため多彩な症状が現れます。

 

近年YouTube等のメディアで取り上げられることも増えてきたが、まだまだ理解されていない部分も多いように思う。はたから見ると怠けているようにも受け取られがちなので、その家族や通っている学校からの理解が進んでほしい。

 

 

発症した時期などについて

中1の夏休み前だった。当時はバスケ部に入っていた。

小学校卒業後、違う学区の中学に入学したこともあり、ストレスはたまっていたような気がする。勉強に部活に、必死にやっていた。

放課後の練習に加えて、週末に朝練があったのだが、急に起き上がるのがしんどく感じた。夏バテじゃないかなんて言いながら、親に連絡して休むことにした。

でも次の日も、その次の日も起き上がれなかった。

朝起きて準備をして、学校へ向かうという簡単にできていたことが突然物凄くしんどい事に変わった。夜になってやっと起き上がれるか、という状況だった。

そこからほぼ中学生活のすべてを自宅で過ごすことになった。

 

起立性調節障害と診断されるまで

私は何事にも真面目で、サボって学校を休むようなタイプではなかったので、親が何かがおかしいと感じ、病院に行った。いわゆる普通の小児科だった。

最初は恐らく夏バテじゃないか、点滴をして数日過ごせば治るのではないかという話だった。

でも何かおかしいと子供ながらに感じていた。

学校を休み始めてからずっと、これまで感じた事が無いような、体に全く力が入らないような状態で横になっていたからだ。起き上がると吐き気が止まらなかった。しかもひどい頭痛があり、ご飯もまともに食べられなかった。そして病院に行くために車に乗ると、ものの数分で酔い、車を停めて休憩をしないと気が狂いそうなほど気持ちが悪くなった。

そんな日がしばらく続き、私がベッドに横になっている間、母なりに様々な病気を調べてくれていた。その時に起立性調節障害なのではないか?という考えが浮かんだらしい。

それからというものの様々な病院に行って血圧や心拍の検査、採血などをして、起立性調節障害だろう、という結論に至った。

 

診断されてからの生活

診断されてからは、頭痛薬や漢方など様々な薬を試し、効かないと分かればまた違うものを試し、という繰り返しだった。

起き上がれないから運動も出来ず、そのせいで夜も眠れなくなりあっという間に昼夜逆転の生活になった。食欲もなく、お風呂も週に1・2回母親に支えてもらいながら入るのがやっとだった。体重も激減して、骨のようになっていた。

家に閉じこもりの生活は、ストレスや不安も重なり、自殺を考える時期もあった。

記憶にないことも多いが、頭が痛すぎて叫び出したり、大泣きしたりということも多々あったらしい。

精神的な不安定さから、カウンセリングを受けることもあったが、大して効果は得られなかった。

そんな生活を続けて、気が付けば中3になるという時期になっていた。

 

高校受験に向けて、症状の改善

中学3年間を家で過ごしたせいなのか、高校に通いたいという思いが沸々と湧き始めた。

そのために体力を回復させなければと言うことで、午後から学校に通うことに挑戦し始めた。数週間は学校にたどり着くことも出来ず、家に何とか戻ってくるのがやっとだった。1カ月以上そんな生活を続けて、やっと少しずつ授業に参加できるようになった。

座って勉強をするのも、最初は10分と続かなかった。やっぱり高校に通うのはあきらめた方がいいのか、と泣きながら勉強する事もあった。勉強もほんの数分ではあるが、座って考えられる時間が少しずつ増えていった。

高校受験という目標が出来たことで生活リズムが整ってきたので、それが体調回復に繋がっていったように思う。

長くなるので割愛するが、結果として高校に入学し、そこから何とか遅れてきた学生生活を取り戻すことが出来た。

 

この病気を経験してつらかったこと

正直つらかったことばかりで、楽しかった思い出はほとんど0に等しい。

一部の教師から遅刻してきたり、早退したりすることに対して怠けるなと怒鳴られることがあった。自分は学校に着くことですら必死なのに、周りから見るとサボっているように見られる現実がつらかった。

また、SNSがそこまで発達していなかったとはいえ、同級生が学校生活を楽しそうに過ごしている姿を見るのは精神的に苦しかった。

 

起立性調節障害でつらい思いをしている学生や親御さんへ

本当にしんどい中で生活していると思います。具合の悪さは気合いでどうにかなるものでもないし、必ずしも病院で処方された薬が自分に合うとは限らないです。私が一時期そうだったように死んでしまいたいと思う事もあるかもしれません。でも、どうにか踏み止まってほしいです。踏み止まったおかげで私は何とか高校生活を経験することが出来ました。私は医者じゃないので具体的にいつ元気になるかはわかりません、でも元気になる日はいつか来るはずです。そう信じて過ごしてほしいです、傲慢ですが本気で思っています。

親御さんも自分ではどうすることも出来ない、やり切れない気持ちがあると思います。でも自分を責めないでください。お子さんを見守りつつ、自分の息抜きも忘れないでください。パンクしてしまう前に、自分の好きなことや癒されることを思い出して、時間を作ってやってみてください。難しいとは思いますが、親御さん自身の健康も大切にしてください。

 

 

暗黒の中学時代も、今思い返せば自分を形成する貴重な経験だった、と思える時もある。たまにだけど。

起立性調節障害の認知度が少しでも上がって、怠けてるなんて思われない世の中になりますように。

脊柱側弯症の手術メモ

 

2020年の10月、私が大学3年生の時、脊柱側弯症(せきちゅうそくわんしょう)の手術をした。

コロナ禍真っ只中の孤独な入院生活で、人生でつらかった経験のワースト2かもと思っている。

 

私はかなりの小心者で痛みに弱い人間なので、あまり参考にならないかもしれないけど、備忘録的な役割をメインに書いていく。

多分長いから、手術の事だけ見たい人は飛ばし飛ばしで見てね。

 

www.saiseikai.or.jp

側弯症って何ぞという人は、上のリンク見たらだいたいわかると思います。

私は腰椎が湾曲しているタイプだった。

 

 

側弯症を指摘されてから手術までの流れ

中学生の頃に、首の痛みで整形外科を受診

→首は異常なし、それよりも軽度の側弯症なのでは?と医者に指摘される

→痛みがないなら様子見でいいと言われてそのまま放置

→自分自身も痛みは特に感じなかったため、ここから大学3年生まで放置

手術前は腰のくびれが右側だけ異常にくびれていて、左側は寸胴というアンバランスさにコンプレックスがあった。それと体を前に倒すと、左の肩甲骨部分だけ盛り上がっていた。

ただ、どちらも日常的に他人に見せる部分ではなかったし、手術をする程困っているわけでもないから放置していた

 

しかし大学3年生のある朝、起きたら謎の腰痛

側弯症が関係しているのかもと何となく不安になり、ネットで調べて出てきた新しめの病院にGO。

医者に中学生の頃に側弯症と指摘されたという話をしたら、レントゲン検査やら何やら検査してもらうことになった。

そして写真を見て思わず無言、なんとこんなに背骨が歪んでいたなんて。

どれくらいだったかというと、36度くらいだった(はず)

 

www.sekitsui.com

上のサイトによると、

弯曲した椎体は椎間板[?]に大きく影響します。側弯が30~40度以下であればそれほど負担はかかりません。ただし、長い目で見ると椎間板への負担はあります。

 

実際いつからどんな経過を経て曲がってしまったのか、原因は分からなかった。

けれども先生からは「手術しないと死んでしまうとかではないけど、年を取ると骨は固くなる一方で回復するのが大変だからやるなら早めに手術しよう」的なことを言われた。

親とも相談して、社会人になってから手術をするのはあまり現実的じゃないから、学生のうちにやっちゃおうという話になった。

そこからは早かった。

 

手術の内容

脊椎側弯症の固定術という方法で行った(らしい)

先生に言われたのは、「医療用のチタンで固定して矯正する」

「昔のように中の金属を取り出すような手術を必要としない」

「背中側を切開して手術をする」といったことだった。(この時点でチキンな私は想像して震えていた)

 

手術が決まってからやったこと

・服用している薬の確認

・輸血のために2・3回病院に通う

・血圧や心臓に異常がないか、検査

正直他にも色々あったはずだけど、思い出せないので終わり

 

 

手術前日

・コロナ禍で厳戒態勢だったため、精神的な支えであった親も面会禁止ということで病院の入り口で別れた

・個室だったのでYouTubeとか見て過ごす

・爪切り、シャワー

・手術の内容に関して再度説明

・早めの時間に夕食取って、夜からは水分摂取もダメ

 

手術当日

血栓予防のために弾性ストッキング履く

・朝9時くらいに手術室に歩いて向かう

・背中側の切開するってことだったのでうつぶせになって手術台へ

・ビビりすぎて心拍早いね、大丈夫だよと言われながら麻酔打たれる

・起きたら手術終わってて、酸素マスクと点滴をされた状態で病室のベッドにいた

・この日は意識もぼんやりしててよくわからないまま1日が終わっていた

 

ここから地獄の入院生活(計2週間)

術後2日目

※毎朝9時頃に先生が巡回に来て、傷に異常がないか確認してもらう→状況に応じてリハビリ、という流れ

・吐き気と背中の痛みが酷い(というか術後のCT撮影で吐いた)

・寝返りを打つのに看護師さんの手伝いが必要

・ご飯は気持ち悪くて全然食べられない

・要はほぼ寝たきり

 

術後3日目

・起き上がれないのでベッドの背もたれを起き上がらせて、ほんの少しご飯食べる

・熱が38~39度くらい出る(自覚は全くない)

・トイレに自分で行けないので排便はおまるスタイル、排尿はドレーン(おまるは精神的にきつかった)

 

術後4日目

・寝返りが一人で何とか打てる

・立ってトイレまで行ける

・半分くらいご飯食べられるようになる

・熱はまだ下がらない

 

術後5日目

・一人で自販機まで歩いて行ける

・お米を1杯食べきれるようになる

・しんどいけど座った姿勢でご飯食べられる

・熱下がる

・尿のドレーン取る

・術後初のシャワー(看護師さんにほぼ洗ってもらう感じ)

・手術で今まで使ってこなかった筋肉が使われてるのか、体の左側を下にして寝転がるのが激痛

・背中を固定されている感じが強すぎて、前かがみの姿勢が取れない

 

術後6日目

・動けるようになってきた分、体の痛みが気になってくる

・左足の股関節が痛い

・術後初めてご飯を完食

 

術後7日目

・股関節の痛みが増しているような感じ

・リハビリしてほぐすけどそこまで良くならない

 

術後8日目

・身長が1.4センチ伸びてることが発覚

・もっと重症だと2センチ伸びると先生が言ってた

 

術後8日目

・コロナで誰にも会えないことがかなりストレスで、痛みのせいでそれがさらにしんどく感じてきた

・思うように動けないせいか、背中にニキビが大量にできる→軟膏塗り始める

・股関節の痛みが変わらないため、MRI撮る

 

術後9日目

MRIの結果としては何も異常がないと言われる

・股関節の痛みで10分座っているのがしんどい

 

術後10日目

・歩行は問題なく、ゆっくり院内を2、3週出来る

股関節の痛みは変わらず

→ここから12日目までほぼ経過変わらず

 

術後13日目

・背中のニキビは変わらず

・朝の巡回で先生から、術後の経過に問題はないので明日退院することも出来るし、不安なら数日伸ばしてもいいよと言われる

・とにかく生活が孤独すぎたので、退院したいと伝える

 

退院日

・股関節の痛みで満身創痍になりながらも退院

・家族が迎えに来てくれた車で自宅に帰る

 

退院して2か月後位までの経過

退院してしばらくは、左側の股関節の痛みに悩まされた

寝起きは特に激痛で、寝ていて固まっているであろう筋肉をほぐすのに1時間費やすこともあった

リハビリも通ったが、それで劇的に良くなることはなかった

 

術後から約4年経って思うこと、側弯症の手術を検討している人へ

ずっと体が斜めに倒れているような状態で10年弱(推定)過ごしてきて、それをいきなり手術でまっすぐに固定したのだから、筋肉が急激な変化に追いつかなかったのかもしれないなあと素人考えで思う。

術後何も気にしないで普段の生活を送れるようになるまでは、何だかんだで半年以上はかかっていた記憶。

 

側弯症の手術を検討している人に一番に伝えたいのは、今現在これを書いている人間は背中や股関節の痛みに悩まされず、日常を過ごせているということ。

この手術をした人が必ず私と同じ結果になるとは限らない、でも、私はくびれが術前より確実に均等になった。精神的にもコンプレックスを感じなくなったおかげで姿勢もよくなった。

見た目だけでなく、精神的な面で考えても、20代のうちにこの手術を受けてよかったと思う。

医学知識0の人間が感じた事だから、あくまでも参考にしてもらえれば嬉しいです。

 

かけがえなくなりたい

 

これまでの人生で何回もブログを開設し、三日坊主でアカウントを削除するか、もしくはパスワードを忘れてログインすらも出来なくなった経験がある。

 

そんな人間がアラサーとなり、色々と人生の岐路に立たされながらも再挑戦するこのブログ。

初心忘れまくり人間なので、見返したときに思い出せるようにメモする。(見返す予定は今のところない)

 

私はメンタルが相当弱い部分があって、ベッドで体を丸めることしかできない、そんな時が多々ある。

でもそういう時、他人の(一般人が書いているであろう)ブログとかThreadsとか、そういう媒体で本当に些細なことに対する呟きを見ると、上手くいかない自分を肯定とはいかなくても、全否定しなくてもいいか。と思えることがある。

そういう瞬間を少しずつ増やして、こんな自分が生きててもまあ許されるか、と思えるようになりたい。

このブログはビジネスでも何でもなくて、すべて自己満で、自分の為。

ただ今回こそは三日坊主ではなくて、自分が必要ないと思ったときにアカウントを消すなり残すなりの判断をしたい。